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地震災害地の輪島市で頭の下がる医療活動 - 医療,病院,コンサルティング,株式会社サイプレス

 

 

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地震災害地の輪島市で頭の下がる医療活動

 

 

株式会社 サイプレス 
代表取締役 伊藤雅教 

 

去る3月25日、北陸地方で大きな地震が発生したというニュースを聞き、当地の医療機関に問合せをしたところ、大きな被害を受けていた。被災直後から日赤、厚生連、済生会、民医連などはすぐに現地に医療チームを派遣した。特に被害がひどかったのが石川県の輪島市である。今回は、現地に入った私が実際に眼にした、医療ボランティアの奮闘ぶりを紹介したい。

東京から車を600キロ飛ばして輪島市に入ったのは、朝7時前。7時過ぎには、全国から応援に駆けつけた医療ボランティアが、被害を受けた診療所で市域住民への診察を開始すべく、準備を始めた。その直後、当日参加の私を含め、全国から来たボランティアに対して災害支援本部から現状と注意事項が説明された。輪島市は65歳以上の高齢者が多く、住民の過半数を占めている地域である。独居老人も多く、年金生活者が被災したケースも非常に多いとのことだった。高齢者の往診を行ったボランティアの報告では、地震のストレスで血圧が270まで上がっていても、「大丈夫、大丈夫」と言っているという。被災した自宅と今後の生活を懸念して、自らの体調どころではないのである。

 

前日診療にあたったボランティアは、夜勤明けで駆けつけて夕方まで診療を続け、今朝、病院に戻るという。代わりに今朝来るはずの医師は、夜勤明けの急患対応で遅れるとのこと。千葉、岐阜、大阪、静岡、京都など、各地の病院から集まった医療職は看護師、薬剤師、事務職員、放射線技師など20人ほどであった。彼らは診療所隣の民家に雑魚寝で泊まっていた。さまざまな交通手段を使って、皆、やっとたどりついたとのことだった。

 災害支援本部はその民家の居間に設けられていた。私たちは1チーム3~4人で、連絡が取れない地域住民のもとに出向き、活動することとなった。私のチームは軽トラックと診療所の車で地図のコピーと住所氏名を頼りに出発。最初にたどり着いたのは独居老人の女性宅だった。家のなかは、あらゆるものが散乱しており、歩くことも困難な状況。他県にいる娘の家にしばらく厄介になるとのことで、荷造りの手伝いをすることとなった。4人で家の中から必要なものを探し出し段ボール箱に入れ運び出す。軽トラックに積み、街なかの知り合いの家の玄関横に積み上げ、後で宅急便に運んでもらう手はずとなった。

 
次のお宅は、山の中腹にある独居老人の女性宅。家屋は歪み、崩れた壁の残骸と瓦が山のように積みあがっていた。一部屋以外は外気が入ってくる状況で、何とかそこで寝ているとのことだった。ここでは看護師も薬剤師も、医療サービスの提供よりも肉体労働が求められた。連絡の取れた工務店から2トントラックとチェーンソーを借り、瓦礫の除去と、崩壊した柱類をトラックに載せられる大きさにチェーンソーで切って積み込む作業となった。残骸を満載したトラックで20キロ先の廃棄所まで数回往復して捨てに行ったが、そこは数百台もの冷蔵庫や洗濯機などが山のように積まれた異様な光景だった。


廃棄所の終了時間が過ぎてしまったため、女性に「明日、また来ます」と伝えたところ、「御礼に」と封筒に包んだお金を渡そうとする。休みなく働いていたのを見て、相当感激したらしいのだが、「ボランティアで来ているので、お金は受け取れない」と言うと、しばらく押し問答となり、結局缶ジュースとお菓子をいただいて帰った。医療機関で働いている薬剤師、事務職、放射線技師と私は今日1日、医療サービスは提供できなかったが、肉体労働サービスは提供できた。私は寝不足と朝からの肉体労働で体中が筋肉痛できしんでいた。


私以外の3人は今晩も泊まり、明日もボランティア活動をするという。遠くから駆けつけたうえに専門職でありながらも、被災住民が必要なら肉体労働も厭わない姿には頭の下がる思いだ。住民の安否と健康状態を把握し、訪問記録を書き、必要なら車に乗せて診療所に連れて行って医療サービスを提供するボランティアたち。地元に戻れば通常の業務が待っている。今回のボランティアの交通費は、それぞれが所属する医療機関が負担するという。病院経営を取り巻く環境が厳さを増すなか、「ボランティアに行きたい」という職員を送り出し、かかった経費は病院が負担する――――。日本は、まだまだ捨てたものではない。

 

日本医療企画 発行 「Phase3」 2007年6月号より転載

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